せっかくようやく生まれた息子は、
一旦預かると言って連れて行かれてしまった。
とにかくこちらは元気だし、とっとと返してくれとソフトに言う。
旦那さんは、極めて重要なライヴのリハに向かい、
少し心細い中、初乳をあげるべく私の出血が止まった途端に返してもらえた。
通常、一晩預けるのだとか意味がわからない。
赤ちゃんは誰も教えないのに、おっぱいの匂いを嗅いでぱくっと吸った。
何とも言えない幸福感。
次の日から、何だかうるさく粉ミルクをあげろと言い始める看護婦さん。
母乳のみで育てたいので断る。
体重が減っているから駄目だと主調されるが、
減って良いのも減るのが普通なのも、とっくに調べ済みなので、無視。
それでも初めての経験で、あと病院恐怖になっている私は、やや弱気にもなる。
何だか、切迫早産の時に何かあると薬の量を増やされて苦しくなるという、
恐怖の刷り込みから抜け出せていない。
何年も経つ今でも、その感覚はある。
兎に角、看護婦はしつこく、しまいには、病院の方針だから従ってもらうとまで!!
今なら怒って、速攻退院するが、弱かった、まだあの頃。
一人だけ味方になってくれた看護婦さんが、糖水をあげて体重を増やそうと提案してくれる。
今だったら、砂糖の怖さを知っているからお断りだけど。
こういう所は西洋医療そのものが、
末期のがん患者にすらブドウ糖あげちゃうような、とんでもなさだから仕方ない。
がんの唯一のえさが糖なのに、なにやってんだろとか思う。
息子は、ものすごく元気でなんの問題もなく、
まわりだけが、数字で決めてごちゃごちゃ言っていた。
とりあえず糖で乗り切り、その日の夜、初めて見る看護婦さんが部屋を訪れた。
非常勤だそうで、母乳の指導をとても丁寧にしてくれて、
搾乳機械を置いて行ってくれた。
次の日から、おっぱい奮闘記が開始された。
搾乳機をおっぱいに当てると乳が、びよーんと伸びるので、
旦那さんはげらげら笑ったが、私は真剣だった。
おっぱいあげて、うんちしては体重を計り、一喜一憂。
今考えたらバカらしい。
数字、数字なのだ。
身体なんて、千差万別だろうに。
どう見ても元気すぎるくらいなのに、それは評価しない。
でもまあ努力の甲斐あって、粉ミルクを与えられず、
無事、娑婆に出られる日になったのでした。
いやー、こうして思い返しても、本当にイライラする体験です。
本来なら、最高に幸せに包まれているべき期間を。
言いなりになるのが当たり前の社会が怖いです。
学校も病院も、従えと言う。
おかしいと思えばそれを言うのが当たり前になればいいのに。
つづく